
86年、熊本の全日本選抜競輪を優勝した時は本田晴美(岡山)の番手で、いい展開になりました。ハルはダッシュがすごかけん、大きいタイトルを獲るんじゃないかと感じてしました。
翌87年、おい(私)とハルは世界選手権自転車競技大会、オーストリア・ウィーンで行われたプロ競輪に出場しました。2人とも勝ち上がり、ケイリン決勝に進出。8車立てで、メンバーは次の通りです。
①M・バルタン(ベルギー)
②C・ゴリネリ(イタリア)
③U・フローラー(スイス)
④O・ダザン(イタリア)
⑤井上茂徳(日本)
⑥D・キープケン(西ドイツ)
⑦本田晴美(日本)
⑧P・ローシャ(フランス)
ハルはウィーンに出発する前に「向こうでロレックスの時計を買うー」と張り切っていたのに、決勝を迎えるころ、しょんぼりしているから、どがんしたと…。そうか、いつもオイがハルを差しているから、またかわされると思っていたのかな?日本の競輪はもちろん、世界選のケイリンもチーム戦です。マークする方は味方選手の表情なども、きっちり観察することが大切です。
そこでハルにささやきました。
「おいがもし勝ったら、お祝いで時計、プレゼントするけん」。こう話すとハルが一変しました。キラッとした目つきになり輝いていましたね。ほんとですよ。
当時、国際競輪(82年から開催)が始まった時期で、外国人も日本の競輪を学びだしたころ。タテの戦い方だけじゃなく、ヨコの動きを…。相手はハルが勝負どころで一気に主導権を取るとみていたのでしょう。
予想通り、ハルが残り2周からスピードを上げて先制。その時です。マークしていたオイの位置に外国勢が飛びついてきた。ちょっと踏み遅れて、ハルとの間に外国人が2車も入ってしまった。
援護せんといかんばいっ。ハルはいつも以上の力を発揮し、堂々の逃げ切り。日本人選手として初めての優勝です!!
おいは…ですね。ゴール前、激しく突っ込み3位入線。ただ周りがバシャーと豪快に転こけて妨害審議になりました。
その時、審判が確か「ケイリン、ファイト!!」と話していたように聞こえました。日本の競輪が分かっている審判でしたね。セーフです。
ウィーンの世界選手権を終えて本田晴美(右)と
大会が終わってからは写真にあるようにウィーンの街を堪能しながらハルと楽しくショッピング。世界のホンダ!!金メダル。おいが銅メダル。思い出深い世界選でした。
1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。